霖雨の森にて、

独り言を、

トラウマに挑む

 

 

ここ数年自分の苦手に挑んでいる。

 

きっかけはいろいろある。

子供のころから苦手だった「チーズ」が思ったよりおいしかったり、子供のころから苦手だった「スポーツ」が思ったより楽しかったり。

 

苦手だと思っていることは実は他者にそういわれたからそうだと思い込んでいることといろんな方向から試していないことがあって実は苦手じゃないものも混ざっていることに気が付いた。

 

「チーズ」は後者でマクドナルドのダブルチーズバーガーでチーズのおいしさに気が付いた。「スポーツ」は両方で高校の体育の授業であった自由に友達と好きなスポーツをしていい時間にやるバドミントンとバスケは最高に楽しくて、ちゃんとそこそこはできた。

 

私は考えしいだから、じゃあなぜ苦手だと決めつけていたのか考えた。

そうするとだいたい裏側にはトラウマが潜んでいた。

 

スポーツは子供のころ運動会で活躍できなかったり体育で教わったようにできなかったところから、周りや家族に運動が苦手なのねと言われそうなのだと思っていた。

 

絵を描くことを少し前まで苦手だと思っていたが、その裏には図工の授業で自分的には新しい発想だと思っていた(絵具を画用紙に直接つけ立体感を出したり、筆ではなく指で塗ることで質感の違いを出したり)ことがあまり認められず、結局絵がうまい人が手放しで褒められていることがトラウマのようになっていた。

 

最近ではすっかり自分の中で、苦手だと感じたものに飛びついてしまうほど癖になってしまっているがこれが果たしていいことなのかわからない。

やはりトラウマに食らいつくのは心にダメージをもう一度与えることになる。

それを乗り越えれば逆に自信になり、できる気がすると思えるようになるのだが、そこまで行くために何度もつらい思いをする。

 

つい苦手な分野を社風として掲げているところに意識が向いてしまっているが、仕事として真正面に向き合って耐えられるのだろうかと考えてしまう。

 

まだ受かってもいないが。

 

そもそも社会の構造自体が苦手なことの塊だ。

それなのに何個も苦手に挑んで苦しくならないのだろうか。

 

考えすぎだ。

 

でも世界が広がるのは楽しい。

何も出来ないと絶望していた中学の時の私に見せてあげたい。

今のあなたはこんなにも色んなことが少しはできるようになったのよって。