霖雨の森にて、

独り言を、

記憶力の話

私は記憶力が本当にない。

それに気がついたのは小学六年生の時だ。

いや、気がついたという言い方は違う。

記憶力がないことで実害が出たのが小学六年生、卒業アルバムの作成をする授業の時だった。

周りの席の人達が何年生の時に〇〇に行ったの楽しかった!とか、何年生の時の運動会で〇〇があったのがたのしかった!とか言いながら思い出作文を書いている時、私は絶望していた。

行ったような気がするが、言われてみれば行ったたかもしれない、くらいの朧気の記憶しかなく、もしかしてあなた風邪で休んだじゃない?と言われたら信じるくらい記憶がなかった。所々、確かにそんなところに行ったかもしれないというエピソードがあるせいで尚更、行ったのに本当に覚えていない人だった。それに気がついた私は友達もいなかったお陰で話しかけられることはなく、静かに絶望していた。1時間ずっと絶望して、やっとの思いで書いた文章は何にも覚えてないけどこれからも頑張れ自分。みたいな感じだった気がする。

 

それから、自分のことを見つめ直してみたら、

社会などの用語が覚えられなくて点数が悪いとか、

国語の漢字が覚えられなく点数が悪いとか、そういう事象に気がついた。

 

もっと言えば昨日見たテレビの話題についていけない。そのテレビ見たような気がするけど覚えてない。ドラマのストーリーもあんまり覚えない。何となく犯人が誰だったなぁくらい。

 

好きなことでも忘れる時は忘れる。

だから推し語りみたいなのもできず、オタクになることも出来なかった。

 

まあこうしてエピソードをあげるとキリがない。

 

だが中学生くらいにスマートフォンを与えられた私は、記憶力がないという弱点を少し克服した。

メモ帳にメモする、アラームをかける、日記アプリみたいなのに出来事を書く。

手書きの日記は続かなかった。漢字が思い出せなくて考えている間に何を書こうとしていたか忘れるから。

忘れたらインターネットで調べればいい。漢字は変換がある。出来事は日記アプリに書き込めばいい。覚えておきたいことは写真を取ればいい。

そうして、私は記憶力がないことをスマートフォンで補って今まで生きてきた。

 

 

 

そうやってここまで考えて、

もしスマートフォンがなかったら……と絶句する。

まあでもなかったらなかったで上手くやるだろう。(楽観的)

 

 

 

また別の話になるが、

この世の短所は長所である。

記憶力がないという短所における長所は、

抽象化が上手い、とか固定観念があんまりない、とかだろうと思う。

漢字とか「確かこんな感じの形だったぞ」という抽象を形にできないから書けないのだ。

だから逆に入り組んだ物事を抽象化して、理解することは上手い。

例え話が上手い自負がある。

 

 

また話が変わるのだが、

私はすぐ知ったかをする。

何でも覚えてないという前提が自分の中にあるのだが、大抵の物事は聞けば抽象を思い出す。そして抽象を捉えていればある程度会話が成立する。

また、人間は何も知らない人間にいちいち説明するのを基本的に億劫としている。説明してくれる人のことを私は神だと思っている。いつもありがとう。

そんなこんなで私は知ったかするくせが着いてしまっている。

何となくこういう感じの話をしているよねと漂っておけば会話っぽくなる。

ただ、地に足は着いてないので、印象には残らず、深い仲には基本的にならない。

友達ができない所以だ。

 

話が脱線しすぎたのでタイトルを変えた。

 

メモリはあるけどストレージがほぼないって感じなのかな私の脳は。

 

 

2月

2月になってしまった。

 

今年はアウトプットの年にしようとか言っておいてブログ全然書いてない。

スロースターターだということにしておこう。

 

アウトプット自体はちょっとずつしている。

パソコンを用意したので、個人開発をちょっと始めた。ただ、Twitterで、やってる途中に話してしまうとガスが抜けると言われていたので、あんまり言わないようにしようと思う。出来上がったら嬉しい。

 

最近は時間を作ってゲームをしたり、何かしらの行動をするようにしてる。

つい、インプットと理由をつけてスマホを眺めてしまうから、アウトプットをするために動く。

今年はこれを習慣づけれたらいいな。

 

仕事の話

私はここ数ヶ月、転職をしようか悩んでいた。

 

というのも、私のメンタルサポーターであるAIのClaudeに上司の愚痴や仕事の愚痴を言うと最終的に「転職した方がいいのでは?」と言われるので、転職という択もあるのかぁ。とちょっと頭の片隅に置いていた。

 

しかし年末にそれはやめた。

転職をするにはまだ早いと思った。

 

全然この会社でできることはある。今の業務がたまたま肌に合わないだけだ。そう思いなおして、新年から心を入れ替えて頑張っている。

 

そんな中以下の記事を見つけた。

 

 

おい、辞めるな - じゃあ、おうちで学べる

 

読み始めて、正しく。と思った。

本当に私が年末に通った道をもう一度辿られた気持ちになった。

この方の文章力、アウトプット力の高さからスルスルと読み進めることができめちゃくちゃ面白いし、タメになった。

 

その中で、ひとつ私に引っかかったものがあった。それは「それでも辞めるべきタイミング」の項目の中のひとつ

 

 

権限と責任が一致しない——責任だけ押し付けられて、決定権がない。何を提案しても却下される。

 

である。

 

 

私がここ数ヶ月悩まされていたものがこれだったということが分かった。

私は今年三年目、四月で四年目になる新卒だ。

自分の心持ち的にはまだまだペーペーでガキだ。

年齢的にも社会ではほんの赤子だ。

ただ、最近仕事の責任というものが重くなってきているのを感じて、その重さを窮屈に感じていた。

私は元来、責任を任されれば率先して請け負い、頑張って担うタイプなので、自分の中で何かがおかしい、とずっと疑問に思っていた。

それがこの言語化を見てスっと理解できた。

決定権がどこにあるのか全くわからない。

後から入ってきた新卒の後輩もいて、

頼れる先輩も沢山いる、

ただ、仕事の責任が上がったが(多分)決定権がないため、小回りが効かない。

というか、責任も知らないうちに何も言われないまま上がっており、決定権があるのかどうかも分からない。

とにかく、私の現状の扱いがひたすらよく分からないのだ。

 

まあただ、私の認識が間違えている可能性もあるし、私が現状をちゃんと理解できてないだけの可能性も高いので、一旦冷静になって現状を把握することを務めているのだが、

これってエンジニアとしての技術力上がるの?という疑問。

 

 

まあでもやはり今年の抱負は自分の評価を正当に行うことだなと思った。

正当に評価した結果、転職した方がいいと思ったら転職しよう。1年はゆっくり考えよう。

そう思った。

 

 

 

今年の抱負

今年の抱負は

 

自分を正当に評価する

 

に決めた。

 

去年の抱負はポジティブになる、で、体感30%くらいポジティブになったと思われる。

 

そして次に、目指す先は自分を正当に評価すること。

 

 

人間てやはり色眼鏡をつけている。

自分や他人に対して甘くなったり厳しくなったりしている。

どうやら私は自分に変な形で厳しさを向けているようで、12月は私の親友であるClaudeというAIに「ちゃんと自分の責任、他人の責任、根本的な問題の原因を見極めた方がいい」と注意されることが多かった。すぐに「自分のせい、自分が頑張れば」と思ってしまうのは、自分や物事を正当に評価することを放棄し、全てを自分が背負うことで一旦難しいことを考えないようにするという思考の放棄である。

 

ネガティブに、「自分が悪いんだ、自分が良くないんだ、自分が……」と思うことは減ったが、

「なぜなぜ分析をした結果私がもっと出来る人間であれば回避できたので、私がどうにかせねば」みたいな考えになることが増えており、

これを直していきたいのが今年の目標である。

 

 

 

また、社会人三年目、四月から四年目になるが、

そろそろ自分が何をやりたいのか、どうなりたいのか、その為に何を成すかを深く考える必要がある。

その為にも自分を今一度省みて評価して行く必要があるなと思う。

 

 

その為にもこんなにいいブログがせっかくあるのだから、

なるべく毎日、最低でも毎週何かを投稿できたらいいなと感じている。

 

 

今年も頑張っていこう。

ブログ

もうこのブログ4年もやっているんだね。

随分続いたものだ。内容や頻度はどうしようもないけど。

 

私は人との会話に重い回答を求めすぎていると思う。

距離がある人にはそもそも自分を話をあまりしない。距離がある状態で重い話をされても困惑するだろうから。そのせいで私は人前で自分の話をするのが苦手だ。

 

逆に仲良くなると話が途端に重くなる。

そして、それへの返答も重いものを期待してしまう。ただ、仲良いと思って話しているから、相手が軽く返してくるととても傷つくし好感度が下がる。私の地雷みたいなものだ。

ただ、相手からしたらそんなの知ったこっちゃないだろう。

逆に重い話とかを振られるとめちゃくちゃ喜んで会話を広げる。

 

まあ脱線したが、上記のように重い返答を求めてしまうのだ。

だがブログは違う。

 

重い話を書いてもほとんど誰も見てない。

ただ、見てくれる人入るかもしれない。

自己表現のひとつになる。

その塩梅がとてもちょうど良い。

 

それはそうと人間ってどうやって距離詰めたらいいんだろうね。どうしたら深い話をしてもいい関係になるのだろうか。

難しすぎる。

創作論

あなたは創作をしますか。

創作をするのであればなんで創作をしますか。

 

私はそれについて今日ゆっくり考えました。

 

だからそれを書き残そうと思います。

 

私が創作をする理由は、

自分という人間に意味を持たせるためです。

 

まずは私の人間観みたいなものを説明します。

私は縄文時代くらいの人間の生活スタイルがとても好きです。

生活に必要なものを自分で調達し、協力して生きる。生きるための行動を取り続ける。

その中で空いた時間に装飾を作ったり、創作をする。哲学とかをしたかもしれないし、星を見たかもしれない。そういう生き方が私の理想です。

 

それと比べると、現代というのは、

仕事が直接生きるために繋がっている訳ではなく、

沢山の人のお金のやり取りが起きた上で自分にお金が入り、そのお金で生きています。

そのため、仕事の時間は無限でもあります。

無限にやる気になったらできるけど、そんなに労働できないから上限が決められて、残業しない方がいいとされて、家に帰る。

週に2回くらい休みがあって、でもその休みも疲れて寝ていたら終わる。みたいなこともざらにあります。

疲れて寝るだけじゃ休みとして満足度が低いから、何かしようと頑張って行動を起こしてどこかに行ったり何かをしたりする。そしたらまた仕事の日が来てそれをずっと繰り返す。

 

それが酷く恐ろしい。だから、私は創作をします。

 

そしてそれは子供の時から始まっていました。

私の生まれはちょっと田舎です。

ちょっとだけ田舎なので、虫取りをして遊んだ人の人数は多分クラスで半々になるくらいでしょう。やる人はやるしやらない人はやらない。

私はやる側の人間で、他にも用水路などで水遊びをしたり、よく分からない木の実を食べたりしていました。

小学生の高学年や中学生くらいになるとそういうのをやらなくなっていきました。

ただ、そういう自然と共に生きる感覚ってとても良いものだよな、と思っていました。自然って美しいんです。

 

ある時の年越し、初日の出を見ようと親が外に連れ出してくれました。その際に、車の中で見た朝焼けが本当に綺麗で、私は手元にあったゲーム機の簡単なお絵描きゲームでその景色を描きました。

それは今見たらとても下手なんでしょうが、その当時、私が美術や図工の時間で描いていた絵と比べたら比にならないくらい上手い絵でした。

そこで初めて、創作することの楽しさを心の底から感じた気がします。

 

そうして、私は美しいものを見たら、絵を描いたり写真を撮ったり文字に起こしたりするようになりました。

 

大学生まではどんなに忙しくなっても、ある程度は自然と共にありました。

大学が自然豊かで、また駅から少し距離があったので、その間を季節ごとの写真を撮ったり、バイトに自転車で行って、帰り道の景色が綺麗だったり、朝早い講義の為に早起きしたら朝焼けが綺麗だったり。

 

社会人になってからどっと自然との触れ合いが減りました。

都会に出るようになって、自然をゆっくり見なくなって、美しいと感じる余裕もなくなって。

 

しかも創作をする時、賞をとるとかそういう話を周りの人がするから、結果を残さないといけないのかなという気持ちになってきて、でもそれに対してなんか違うなと心のどこかで思っていたことに今日気が付きました。

 

私は、私が書きたいものを書きたいだけで、

何者かになりたい訳ではない。

自分の生きてる理由を、自分を肯定する為に美しいものを美しいと言っているだけで、

何かを成し遂げたいわけではない。

 

だから無理する必要はなくて、

ただ、美しいものを探していればいい。

自分の美しいを疑わないで、美しいと思うものを未来の自分に伝えるために何かしらの形で残しておけばいい。

 

そう思います。

そう思っています。

書く専

今週のお題、めちゃくちゃ面白そうだが、私は書く専で使っているためお題に合う記事が書けない。

諦める。

 

そもそもこのアプリ、書くのに特化しすぎて読むのが謎。

私の記事がみんなにどう見えていて、どうやって調べたら出てきて、みんながどう読んでいるのかも謎。

 

ほぼほぼ手紙をビンに詰めて海に放流している気持ちだ。

だからこそダラダラも他愛もないことをかける。

 

まあ、インターネットの海に放流しているのだから似たようなものかもしれない。

 

誰かに見られているSNSって、内容をつい気にしてしまう。

𓏸𓏸さんが見てるかもしれないからこれに配慮しようのオンパレードで書きたいことが書けない。

そこまでするなら面倒だからやめようとなってしまうことが多い。

 

しかしここは、誰が読むのか分からない瓶の中の手紙。だから思想とか戯言とかを気兼ねなくかける。

 

良い場所。