霖雨の森にて、

独り言を、

脱 Twitter

 

 

私は一昨日Twitterを消した。

消すまでには色々経緯があったが、理由としてはTwitterに縛られている気がしたからだ。

私は暇さえあればTwitterを見ていた。

Twitterは、好きな動画投稿者の日常を知りたかったから始めた。

自分が興味のある配信者が増える事にフォローする人も増えていった。

他にもイラストレーターや漫画家など、様々な人をフォローするようになり、気づけばその数は1000を超えていた。

そのくらいから、好きな人の日常を見るというよりは、タイムラインに流れてくる様々なジャンルの情報を取り入れ咀嚼する場となった。

これはこれでよかった。

本当に色んなジャンルの色んな話を聞けるし、知識も増やせた。

ただ、デメリットとしては自分から深く調べることが減った。

ツイートの中の情報だけだったり、そこに載っている記事だったりを読んだだけで完結していることが増えた。

新しいことを知ると脳が喜んでいる気がするが、もっと別の新しいことをもっともっとと求めるようになり、ひとつの事をある程度知ったら、次のことを探し始めるようになってしまった。

Twitterの浅瀬でサーフィンしているつもりだったが、サーフィンにハマってしまったせいでどんどん沖に出てしまっていた。

一緒に暮らしている人が大半の時間をTwitterに割いてると感じるほどにはTwitterを見ていたようだ。

 

 

Twitterをやめて2日目だが、思ったより暇な時間が多いことに気づいた。

今まではなんだかずっとなにかしていて、忙しい印象だったが、そんなことないのかもしれない。

 

私の座右の銘のひとつに

考え続けろ

という言葉があるが、

最近のTwitterを見ている私は考え続けているというよりは流され続けていたようだ。

 

考えるとはどんなことか思い出していかなければならない。