霖雨の森にて、

独り言を、

夢と現実

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

私にとってのインターネットは「夢と現実の狭間」というイメージだ。

 

私はインターネットのおかげで学生時代の辛い時代を乗り切り、むしろ生きる希望を貰い、生きる意味を得た。

私にとって将来こういうことをしたいという明確な「夢」を与えてもらった場所だ。

さらにその「夢」のおかげで、インターネット上で活動することが増え、それが「現実」に良い意味でも悪い意味でも影響してきている。

「夢」の世界だけではなくちゃんと「現実」にも干渉するそんな「狭間」のイメージが強い。

 

 

私は同世代の中だとインターネットに初めて触れた時期は少し遅めの方だと思うが、インターネットの奥深くまで手を伸ばしているだろうと思う時がある。

同世代の人達は基本的にはYouTubeInstagramTwitterなどを使い、好きな動画や歌を聴いたり、SNSで友人と会話をしているが、その範囲では気づかないインターネットの恐ろしさを周りと比べてみてきたと勝手に思っている。

それこそ「夢」のようになんでも出来るインターネット世界で何でもしてしまったから「現実」に悪い影響を及ぼしてしまった人の話をたくさん調べて読んできた。

実際に好きだった動画配信者が「現実」での行いにより配信活動を辞めなければならない状態になっているのをリアルタイムで見ていたりした。

 

インターネットの恐怖もしっかりわかっているつもりだ。

 

しかしこんな私でももっとネットリテラシーのある同居人からはインターネットの使い方についての注意を受けることがある。

 

インターネットはどんなことでも出来る。

好きな芸能人に直接発言ができたり、過激な発言を色んな人に見てもらえたり、自己防衛のために攻撃的になったり、顔も名前も分からないからこそ強気になったり。

でも「夢と現実の狭間」にあるインターネットはどちらの性質もあるからこそ「現実のルール」もちゃんと守らなければならない。

人を不快にさせる行動や発言はしてはいけないし、過激すぎることも慎まなければないし、自己防衛と言って何もしてない人を殴ってはいけないし、知らない人だからって罵倒していい訳では無い。

家の中に居てもインターネットという「外の世界」に出ているのだから、家の外で出来る行動をしなければならない。

インターネット世界に外出しているのだと思わなければならないのかなと思う。

 

 

 

まとめになるが、

私にとってのインターネットは現実の自分を少し良く見せてくれる夢のような場所だ。

なんでも出来るような気がするけれど、現実の自分の出来ることが増えなければ夢の中でもできることが増えなくて。

なんでも出来るという自由度の高いインターネットだからこそ、夢を乗りこなすためにはたくさんの想像力と知識と考え続ける力が必要な場所で。そのためには現実で色んなことを考えなければならなくて。

とにかくインターネットは「夢でもあり現実でもある」場所だから。

 

行動や発言にはくれぐれにも気をつけていかなければならない。