霖雨の森にて、

独り言を、

戯言2.

 

 

 

私は小説を読む時脳内で映像化をして読むタイプなのだが、これは漫画やTwitterを読む時も同じで、脳内でその人っぽい声で台詞を再生してしまう癖がある

 

例えば、漫画を読んでいる時にこのキャラクターはこんな声だろうと思って読んでいるから、アニメを見た時になにか違和感を感じてしまう等の支障がきたすことがある

そのようなギャップというのは少なからず誰にでもあることなのかなと思っている

 

他にも、小説や漫画を読んだだけなのに映像化作品を見たと勘違いしていたりすることもある

 

 

これによる支障は他にも、

小説を書くとなった時に、情景の映像は思い浮かぶのだが、それを言葉に落とし込むことが出来なくて困るという悩みに繋がる

小説の言葉を拾ってそれを映像化してしまっているが故に、語彙が増えている訳ではなく、言わばCDを読み込むだけの機械になってしまっているのだ

自分の中でその言葉を使えないのでは意味が無い

ちゃんと言葉を言葉として読み込めばよかったと少し反省した

 

 

 

私は小学生の頃、ハリーポッターの小説にハマっていた

何度も読み返して、自分の中の理解を深めようとした

十何年経った去年、映画を全て見返してみた

ハリーポッターの映画を全てしっかり見たのはこれが初めてだった

あの頃の記憶が蘇ると共に、こんなに壮大な話壮大な描写をどう文字に落とし込んでいたのだとも思った

ハリーポッターはしっかり人間ドラマも描かれている

その心理描写であったりだとかそれと共に魔法を使っての戦闘シーンの躍動感、未知なる生物との関わり、文字で表現するには過酷すぎる内容が詰め込まれている

しかもさらに言えば映画のハリーポッターは小説のハリーポッターを短くしたものだ

沢山のシーンがちょっとずつカットされている

なんだかこのブログを書いていたらハリーポッター小説版を読み返したくなってきた

小学生はあんな素晴らしい作品の本を無料で読み放題なのだ

図書室のなんと素晴らしいこと