今週のお題で小説①
私には行きつけのうどん屋さんがある。
会社の傍にある上、裏道のさらに奥にあるためほかの店と違い昼時でも空いていた。
それまでは空いていそうな店を探し随分遠くまで歩かなければならなかったので、直ぐにそのうどん屋へ通いつめるようになった。
何度か通って色んなメニューを試して見たが、どれも味が良い。
うどんはもちろん、蕎麦やカツ丼、定食に付いてくる漬物までどれをとっても絶品だった。
さらにメニューが豊富でこれは当分飽きずに通えるぞと安心できる品揃えだった。
そんな中でも毎回頼んでしまうのがいなり寿司だ。
ここのいなり寿司は本当に美味しくて、初めて来た時に何となくで頼んで以来、来る度に絶対頼んでしまう。
ふわふわなのにしっかりと噛みごたえのあるいなりの皮には少し甘めの優しいタレがたっぷり染み込んでいて、噛む度にじゅわぁと溢れ出す。酢飯もお米一つ一つがしっかりしていて、タレと甘みとすじょっぱさが絡み合いとてもよいハーモニーを生んでいた。その中に混じるゴマの香りがまた食欲をそそり、あっという間にひとつ平らげてしまうのだ。
食後のデザートのように大事に取っておいたいなり寿司をゆっくりと堪能して、その幸せが残ったまま会社に戻り仕事をするのが最近の日課になっている。
そんないなり寿司のことを思い出し、程よくお腹が減った今日もそのお店へ足を運んでいる。
相変わらず誰もいない通りにいつも通り驚く。
道が1本違うだけでこんなに静かになるものかと何度目か分からない疑問を浮かべ、通りを歩く。
大きなトラックが誰もいない通りを往来しているのを横目に、お店の扉を勢いよく開ける。
ガラガラガラ。少し立て付けが悪く大きな音を立てながら扉が開く。
食欲を刺激される香りに迎えられながら、いつも通り人の全然いない店内を見渡す。
今日のお客は二人。カウンター席と二人がけの机に一人ずつ座っている。
見渡したものの私が座るのはいつも通りカウンター横の店主さんから近いが死角になる壁際の四人席だ。
カウンター席に座るのはいつも常連さんで座りづらいが、早く料理が出てきて欲しいのでカウンターに一番近いこの席に座る。
どっしり腰をかけて、隣の席にカバンを置き、今日は何を食べようかと見慣れたメニューを手に取る。
「そういや、おやっさん。せがれの調子はどうなんじゃ」
カウンターに座っていたおじさんが嗄れた声で店主さんに話しかける。
店主さんは寡黙な人なので、声には出さずに料理をしながら何かリアクションを示していたようだ。
「へぇそぉかい」というとまたおじさんは爪楊枝をくわえ始めた。
「この店はどぉすんだい。おやっさんの腕、もうどうしようもないんでしょぉ」
なんだか腑抜けた喋り方をするおじさんだなぁ。会話の途中だが、注文が決まったので店主さんに注文を伝えに行く。
「すみません。カレーうどんといなり寿司とミニ天丼ひとつずつで。」
伝えながら店主さんの腕をちらりと見る。
火傷を防止するための布が巻かれていてどうなっているのかはよくみえなかった。
「おじさん。お勘定」
私が席に戻る時に、入れ違いで二人掛けの机の座っていたサラリーマン風のおじさんがお金を払って出ていった。
その後しばし天ぷらの揚がる音と店主さんが何かを作る音だけが響いていた。
目の前を大きなトラックが通って店ががたがたと揺れた。
「店はまだ畳まぬ」
突然店主さんがポツリと言った。
「じゃあ移動でもするんかい。この通りも来月には人で溢れかえるぞ」
カウンターに座っていたおじさんがさっきよりも深刻そうな声で語った。
来月。店の外を見ると、斜め向かいに新しいショッピングモールができると大々的な看板とのぼりがあがっていた。
「おまち」
いつの間にか目の前に店主さんが来ていて、机の上にカレーうどんとミニ天丼といなり寿司を並べていた。
いつもならそのままそそくさとカウンターの中に戻ってしまう店主さんが何故かこちらを見たままじっとしている。
「お前さん。いなり、好きか」
ボソリと低い声で問いかけてきた。
「は、はい。この店のいなり寿司が好きです」
「ふん」
鼻をひとつ鳴らすと、いつものようにそそくさと帰っていってしまう。
「店はまだ畳まぬ」
そう、もう一度、さっきよりもしっかりとした声で店主さんは言った。
「そうかい」
カウンターのおじさんは腑抜けた声で答えた。
カレーうどんもミニ天丼もすごく美味しくて、最後に食べたいなり寿司もやっぱり美味しかった。