霖雨の森にて、

独り言を、

戯言⒈

今日、読んだ記事の言葉をふと思い出した

 

『愛による幸せを感じている時、麻薬を使っている時によく似た状態になる』

 

確かに恋愛というのは怖いもので、それを摂取しなければ苦しくなり不安になりストレスを感じ、それを摂取してる間は幸せに満ち溢れ何も考えられなくなる

 

 

 

また似たような記事で

今度は『音楽』を聴いている時も同じような状態になるのだというものも見た

 

 

私はどちらにもハマってしまっているため、

どちらの論述も痛いほど首を縦に振ってしまう

音楽をイヤホンで聴いていなきゃ外を歩けないし、直ぐに片想いをして誰かに恋い焦がれていなければ何にもモチベーションが上がらない

そんな高校生活を過ごしてきた私からしたら、そうに決まっているあの依存性はそのレベルだ!と周りを気にせず大声を上げたいほどのデータだ

(いやしかし、あまり大声を出すと音楽を規制されたり、恋愛を制限されたりしそうだからやめておく)

 

 

恋愛と音楽に関して、なんにも関係無い私の小話をする

 

私は詩や小説を書くのだが、最初の頃恋愛をモチーフとしたものばかりを書いていた

しかも片想いのものばかりだ

 

前述の通り私は片想いばかりをした学生時代だったからそれを作品の中でも投影してしまい、そのような作品ばかりになってしまったのだが、片想いではなく両想いになった今、今度は恋愛をモチーフとした作品を書かなくなってしまった

というか書けないような気がしているのだ

 

片想いとは非常に盲目的で幻想的、信仰的だ

勝手に膨れ上がる相手への気持ちは伝えるすべもなくただ自分の中に溜まっていく

まるまる太ったその人への想いは少しつつかれただけで揺れ動き、傷つき、新たな妄想へと繋がっていってしまう

この状態での生活は困難極まりなく、ちょっとした事でコンディションが悪くなる

モチベーションが変動する

その安定からかけはなれた状況で少しでもその想いを他のことへ逃がすために、空気を抜くために詩や小説などの創作に使っていたのだ

 

 

そんな不安定な学生時代もすぎ

安定的に大切な人へ想いを伝え受け取れるようになった今

恋愛をモチーフとした詩を何度か書いた

 

 

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例えばこれ

今年の一月に書いたもので、学生が先生に片想いをしているようなものを書いている

 

他の人たちがどう見るかは置いておいて

私がほかの私の詩と比べると

びっっっっっくりするほどつまらないのだ

言葉選びから、語感、その内容まで

なんだかのっぺりしていて、どこにでもあるような、でもなにか語感の悪い

他の詩と比べ、生き生きと書いた雰囲気が伝わってこないのだ

 

 

そう、私にはもう片想いの感情を描くことが出来なくなってしまった

それはまるで薬物を使って作曲していた人が薬物を辞めてから作った曲の売上が伸びないとでも言うように

そのモノに依存している時にしか書けないものがあるのだ

 

 

かと言ってこれは悪いことでもない

むしろ元は片想いしか書けなかった私が、初めて両想いを経験して両想いが書けるようになったのだ

これを進化と言わずなんと言おう

 

 

などと宣ってみた