逸品では失礼かもしれない
私の新生活が捗る逸品とは『友人』だ
私は今年、実家を出た
1人共に暮らす人も居るが、基本平日の家事は私が行う
家事というのは非常に難解だ
まず、食器を洗うのが億劫である
さらに毎日献立を考え、買い物をし、
洗濯や掃除にまで時間を割く余裕が無い
母親というものはこれを全てこなしていたのかと感心した
そこでふと思ったのだ
私は高校の時から家事を全くしないと友人に言われ続けていた
家庭科のだし巻き玉子を作るテストでは、出来るはずがないと友人の家で修行したほどだ
しかし、私が出来ないと言われる原因は私の怠慢ともうひとつあることに気がついた
そう、彼女たちは家事をするのだ
そこで最近、家事で困っていることを友人によく話すようになった
すると、あれよあれよという間に情報が出てくるのだ
おすすめの漂白剤、便利なブラシ、料理の仕方、掃除のやり方
何をとってしてもレベルが違うことを思い知らされた
皆同じ道を通ってきているのだ
家事というものは同じところで苦悩し、苦戦し、苦悶するのだ
ということに気づいた
先に家事を始めていた人は全て先駆者となり師となる
私の周りにはたくさんの師がいた
その師が私にとって新生活が捗る逸品だと思う
きっと誰の周りにでもいるのだろう
そもそも母親はレベルがすごく高い
さらにその上の祖父母などもレベルが高いことに変わりはないだろう
兄姉がいるのならそちらを頼るのもいい
私の場合は友人であったが、
先に家事をしている人達はすべて新生活を捗らせる逸品となるのではないだろうか