霖雨の森にて、

独り言を、

不登校

いつも見てくださる方が普段書かれているブログを見に行ってみたら不登校の話をされていた。

 

今日はコメントでありがたい言葉をもらったので、一度不登校になった経験のある私の一例を紹介することで、感謝の気持ちを伝えようと思う。

 

 

私は中学三年生の時不登校になっていた。

幼少期までたどると、保育園をサボっていたり、小学校では保健室に通い詰めたり、もともと「普通」の時間間隔で生きていくのを困難としていた節がある。

しかし中学入学時にいつまでもそんな状態ではだめだと、周りに言われたか自分で思ったかして、部活動を始め、朝早く登校し遅く帰るという所謂「普通」の生活を実践していた。そのなかで紆余曲折あったが、とにもかくにも一年ほどでその生活はだめになり、二年で学校にも通えない状態になってしまった。

 

その不登校の時期を振り返ることはつらくない。

むしろ中学三年間でその不登校の年が一番充実していた気がする。

 

まず、不登校になる寸前に友人にとある掲示板を勧められた。

今では掲示板は聞こえが悪いが、その当時はまだマイナーで、インターネットにつながる機器を持った中学生は少なかった。さらにその勧められたところが学生専用をうたっていたので、(たぶん)同学年の人ばかりだった。

その掲示板のおかげで不登校になってもあまり閉鎖的に感じることはなかった。

むしろ、平日の昼間に話す相手ももちろん不登校の仲間だから、責められることも引け目を感じることもなかった。

 

 

私が不登校をやめ、高校受験し、高校生として「普通」に近い生活を送るまでにあった変化は、

「やりたいことを見つけた」

ことだと思う。

私のやりたいこと、将来のビジョンの中に、高校を出て大学を出ることが組み込まれていた。だからそのために不登校でもできる勉強をしようと親に頭を下げて塾に入れてもらい、公立という条件で高校に通わせてもらった。

 

 

そこから私が学んだことは、やりたいことを見つけた人間は強い、ということと

学校にまじめに通っている人だけがやりたいことを見つけ出せるわけじゃない、ということだ。

 

まだ就職もしていない青二才が偉そうに言うことではないと思うが、学校に通ってないことでみえてくる世界もちゃんとあるということ。

学生時代に気づけなかったやりたいことを大人になってから気づいてチャレンジする人もちゃんといること。

そりゃ学生時代に気づけたほうが楽かもしれないけど、それよりも

やりたいことを見つけた芯の通った人はとてもとても強かであること。

そういうことを学んだ気がする。

 

今思うと、私の母は困っただろうな、と申し訳ない気持ちになる。

父に一緒に塾に通うことをお願いしてくれたり、不登校の私に強く言わずそっとしておいてくれたり、メンタルクリニックを探して紹介してくれたり、本当に母には感謝しかない。

 

不登校とは終わりが見えない不安な時間が親子両方にのしかかって気まずくなったりするだろうと思う。

まだ言葉も至らない、しかもたった一年しか経験のない私から、できるアドバイスは、

『世界を楽しんで、日常を楽しんで、すべて楽しみつくして、そして一番何が楽しかったか思い出して、何が一番自分に影響を与えたか思い出して、自分のやりたいことにつなげていけばいい』

 

教養や教育は大事だけれど今は学校に通わなくても得ることができる。

自分の中で学校に行く理由を見つけられるまで、楽しみ尽くせばいい。

 

 

最後にダサい話をしておくと今でも「普通」の生活はできておらず、1限はあまりとらないようにいていたり、朝早くにバイトを入れないようにしている。

やはりフレックス制の仕事のがいいのだろうか……。